まるもり 第3章極貧-第12話- 「雪夜さん、大丈夫?」
部屋の奥のほうから声がして、メグルはその声を聴いた瞬間、体を震わせた。
聞いたことのある声。とてもよく知ってる声。でも、こんなときに、それが誰なのか思い出せない。
その姿を見る前に、自分で思い出しておきたかった。
そうしなければ、その人を目の当たりにした瞬間、心臓が縮みそうなほど驚く気がした。
「雪の日の夜に生まれたから、雪夜。単純な名前だろ。あんまり好きじゃないんだ」
好きではない名前。彼女と言う立場であったメグルでさえ、呼ぶのを許されなかった名前。
「大丈夫だよ」
柏木が振り返って、その見えない声の主に優しく話しかける。
「メグルだから、大丈夫」
「メグル?」
その声と同時に、声の主は、ドタバタと駆けてきた。
「二人って、何?付き合ってるの?いつから?二股だったの?」
遅れて玄関にやってきた東湖を見た瞬間、メグルは、柏木の首根っこを捕まえていた。
これって、馬鹿にしてない?わたしと付き合っていたのに、同期で一番仲の良かった東湖とも関係があったなんて。それに、東湖だって、何も言ってくれなかった。
自分が、何人もの男を手玉にとっていることなど、まるでなんでもないかのように。
そして、自分はしても、他の人はしてはいけないかのように。メグルの考え方は、自己中心的過ぎている。でも、本人はそんなことを思いもしないし、気付きもしない。
柏木は首を横に振った。
「付き合ってないよ」
メグルは、自分の感情を抑えることができなくなっていた。
「嘘つかないでよ。だって、そういうことでしょ?東湖と付き合ってるから、わたしに別れようって言ったんでしょ?二人して、わたしのこと笑ってたんでしょ?」
涙が、どこからともなくあふれ出てくる。
「違うよ、メグル。俺たちは本当に付き合ってない。今度のコレクションの打ち合わせをしていただけだ」
柏木は、一歩下がったところに立ちすくんでいる東湖に、小声で、
「ごめん、部屋に戻ってて」
と言ってから、またメグルに向き直った。
「俺は、お前とものすごくズレを感じてた」
柏木は、強い口調で言い放った。
「メグルは確かにお金持ちかもしれない。でもそれは真樹夫さんが頑張っているからお金持ちであって、メグルが頑張って手にしているわけじゃない」
そして、一呼吸置いて、さらに続けた。
「俺は、自分で頑張って、成功することを夢見て努力して、今の生活を築いているんだ。努力しないで、誰かにしがみつくメグルを見てると、だんだん腹が立ってね」
柏木の手が、静かに伸びてきて、メグルの頭にのる。
摩擦が起きて、髪の毛が浮くような感覚に捉われる。
「人に頼らずに頑張ってごらん。俺は、人間としても、女性としても、そういう人に魅力を感じるよ」
柏木は、最後に少しだけ笑顔を見せてくれた。
「そういう人間になったら、俺、メグルのことまた好きになると思う」
柏木の言うことが、メグルには理解できなかった。
「金持ちをひがんでいるんだわ。あんな心の狭いオトコ、こっちからお断り」
タクシーを捕まえて、一番荘への道のりを、運転手に説明する。
後部シートに腰を落ち着けると、気分がゆったりとする。
メグルは目を瞑った。
深夜料金も加算されて、往復のタクシー代は、一万円弱かかった。残りの所持金二万円。
これが緊急事態だといつ気付くかは、誰にも分からない。
まるもり 第4章旅立ち 第1話へ続く
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
2008/08/06(水) 12:00:00|
笑@会社
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