まるもり 第3章極貧-第7話- 「これ、東湖の服だよ」
嫌がる真樹子に、メグルはその紫色の服がお洒落であると思わせようとした。
東湖はいまや日本の若者に圧倒的な支持を得ている新鋭デザイナーだ。そろそろ海外のコレクションからも声がかかるだろうと噂されている。
そんな東湖の服だと分かったら、真樹子も調子に乗って、「素敵」だと言うかもしれないと思っていた。
真樹夫に捨てられ、ただでさえ、悲しみに打ちひしがれている真樹子に、この服は残酷だ。でも、あの隣人に逆らうのも、微妙に怖かった。
こんな趣味の悪い服、自分ならただでもいらないところだが。いっそのこと雑巾にでもして、この部屋をくまなく掃除したらいい。その程度のものだ。
だいたい、この服を真樹子に着せて、どうしようというのだろう。
メグルは、ゆっくりと立ち上がって、二○四号室側の壁にそっと手を当てた。次には耳を当て、様子を伺う。
薄そうな壁一枚の向こう側から、音は聞こえない。
聞こえるのは、同じ部屋にいる真樹子の鳴き声だけだ。幾分小さくなったものの、まだそれは止まらない。
約束をしたわけではない。もし嫌なら、六時になっても部屋から出なければいいのだ。
「あれは約束じゃないわ。一方的に命令されたの。だから、従う必要なんてないの。真樹子さん、ね?」
メグルは、母をなだめようと体をさする。
真樹子の目は、死んだ魚のように濁っている。この部屋に一時間もいれば、誰でも腐りそうな気がした。
やがて、六時に近づくと、真樹子はグッタリさせていた体を立て直した。
背筋をピンと伸ばした姿は、先ほどまでの死にかけたような態度とは正反対に見える。
「メグルちゃん、わたしはあなたを守るわ」
いきなり、メグルの前で、来ていた服を脱ぎ捨てた。
暗い部屋でも、狭い部屋とあって、真樹子の体はよく見えた。
まだ二十代の半ばと言っていいくらいの童顔な顔立ちに、アンバランスなほど豊満な胸。ウエストは適度にくびれていて、すらりとしたボディラインを保っている。キラキラと輝いて見えるのは、ラメの入ったパウダーを使っているからだろう。
自分の母親の裸体が、これほどまでに美しいということを、メグルは知らなかった。
「メグルちゃん、わたしはあなたの母親よ。例えわたしが死のうとも、あなたを不幸な目には合わせないわ」
何かを宣言するかのように、右手を高々と天井に向かって掲げ、その指先をいつまでも見つめていた。
やがて六時少し前になり、真樹子は薄紫色のスーツを着て廊下へ出た。
メグルは、内側から新聞受けを引っ張って、外の様子を眺める。
隣人は、六時ぴったりに廊下へ出てきた。
この時間になると、町中に鐘の音が響き渡る。メグルがかつて住んでいた街も同じだ。
もう夕陽が暮れますよ。早くかえらないと危ないですよ。
とでも案内しているのだろうか。
子供の頃には、この鐘の音が聞こえると、友達と別れなければならないという悲しい思い出が詰まっている。
まるもり 第3章極貧 第8話へ続く
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
2008/07/25(金) 12:00:00|
笑@会社
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