さらに狭まる人間関係。世間は狭いです。
例え家族ではなくても、心のどこかでつながっていると感じる相手もいれば、家族でも
プツンと糸がきれていたり…。世の中何が大事かって、血のつながりを超えたところに
あるのかもしれません。
第116話何かを手に入れようとするとき、何かを失うかもしれないということを頭においておくべきだ。
自分が欲しているものを全て手に入れられるほど、世の中うまいこと回っていくものではない。
「失うものは、何もないな」
桃子はポツンとつぶやいた。
会社の屋上は、本来は立ち入り禁止の場所である。普段鍵がかかっているが、樹里はいとも
簡単に総務部から鍵を借りてきて、扉を開けてしまった。
「いいコネ持ってるんだな」
「そりゃ、時々はそういう特権もないと、秘書などやっていられません」
樹里が笑う。
二人は、屋上のアスファルトの上に寝転んでいた。
阿東が社長を、社長職から引き摺り下ろし、自分が社長になろうとしている。そのため、社長
の周囲をかぎまわっている。阿東は直接手を下していないだろうが、阿東から頼まれて動い
ている社員もいるようだった。
阿東の妻は、自分が社長宅に出入りしているのを知らないだろうと言っていたが、皆の話をま
とめると、阿東はそんなこと充分承知しているに過ぎなかった。そして、それをネタにするの
か、いつかのときのために、温存しているに違いない。
いつかのときというのは、自分が確実に有利に立つことができるときだ。
なんとか阿東の首根っこを捕まえることはできないだろうか。
それは、桃子が考えるより、樹里が考えたほうが手っ取り早かった。ただ、阿東の弱みを表ざ
たにするということは、結果的には樹里も傷つくことになる。それに、不倫をしていたからという
だけでは、社長になれない大きな理由にならないような気がした。
「何を考えているんですか?」
「いや、別に」
桃子は、アスファルトの上に直接寝転がり、樹里は頭の部分だけハンカチを広げていた。
自分はこの職を失ってもいいと思っていた。これがなくなったからといって、自分の生活に大き
な変化が起こるわけではないだろう。それより、秘書などやめてしまったほうが、生活が楽しく
なるかもしれない。それなら、そのほうがいい人生を送れる。
だが、樹里はどうだろう。
桃子は首を少し横に動かして、樹里を見つめた。
太陽の光が眩しいのか、樹里は目を閉じていた。
長くカールしたまつげ。細く整えられた眉。きれいな顔立ちだ。
樹里も、例えこの職を失ったとしても、どこかでうまいことやっていけるに違いない。
ただ、その力があるかどうかが心配だった。
不倫の果ての破局、流産、そんな経験をしたばかりの彼女に、新しいことに向かって力いっぱ
い進んでいける余力が残っているとは思えなかった。
それに、彼女はまだ人間不信なところがある。新しい環境に馴染むのは難しいだろう。
「あぁ」
樹里が大きな口をあけて、欠伸をした。
桃子は、横でその顔を捉えていた。
「見ましたね?」
「見たよ」
ケラケラと笑った後、樹里は真剣な顔になった。
「桃子さん、わたしね、もう何もいらないです。何もかも…」
上半身を起こして、乱れた髪を整える。桃子は、樹里の背中についた石灰のような白い粉を、
力を込めて振りはたいた。
「イタタタ、桃子さんの力じゃ痛い」
「あ、ごめ」
もう一度、今度はかなり控えめに、さするように背中を叩く。
太陽の暖かい日差しが、体を包み込む。それと同時に、時折少しひんやりとした空気が肩を
撫でていく。季節が夏から秋に移り変わっている瞬間だろう。
「正確に言うと、父と桃子さんと、亜紀さん。そして理子さん以外はもういらないです」
これまで毛嫌いしていた父親を、大切な人と思った。そして自分のこと、福井家の家政婦の亜
樹のこと。
「んあ?なぜそこに理子さんが?」
桃子は、起き上がって樹里と同じように足を抱えて座った。
一度しか会ったことがない、桃子のかつての職場の先輩である理子のことを、樹里が気に入って
いたことは確かだったが。
桃子は首をかしげて、樹里の答えを待つ。
「何から話したらいいか。桃子さんが秘書室に来てから、毎日がお祭りです。いろんなことが
めまぐるしく起こって、悪いことが起こったけれど、それは悪を断ち切るというふうに考えれば、
結局は良かったんだと」
樹里は、桃子の質問にすぐには答えなかった。
「信じられます?桃子さん。理子さんは、わたしの異父姉妹だったんです。あの口の悪い理子
さんが、わたしの姉ですよ。世の中、間違ってます」
そういうと、大声で笑い始めた。
桃子は、顎が外れたかのように、口を大きくあんぐりと開けて、呆然としていた。
なにゆえ?
「姉妹?嘘だろ?」
どう見たって似てないぞ。
-第117話へ続く-
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
2008/01/25(金) 12:00:00|
笑@会社
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