社長も一人の人間。
でも、会社ではそんなふうに見てくれる人は誰もいない。
やっかいな存在に写るほうが多い。
そんな中、なぜか抱えた悩みを桃子に打ち明けていきます。
一体どういうこと?!
第107話桃子は、くすくすと笑いながら、ベッドを降りた。
ひかれた厚いカーテンを、一気に窓の脇へ寄せる。目が眩むような直射日光が降り注ぎ、部
屋は一気に明るくなった。
ベッドは部屋の中央に置かれ、それを挟んだ状態で二人は立っていた。
「まぁ、座ろう」
入り口近くにある小さなテーブルと二つの椅子。自分が座ったら壊れそうだと思いながら、桃
子はテーブルに近づいた。
椅子に勢い良く座っても、悲鳴をあげなかった。きっと、上等な素材でしっかりと作られている
のだろう。
それとも、あたしが痩せたから。
桃子は、一人ほくそ笑みもした。
「きみは、何を想像しているんだ?ときどきニタニタとだらしのない顔をするのは、やめたまえ。
秘書にはして欲しくない顔だ」
まだ、自分を秘書としておいておくつもりなのだろうか。さっき、あれほどの暴言を吐いておいて?
静かだった。
二人がいる部屋もそうだし、外界からも音がしない。不思議だった。まるで全てのつながりが
遮断されているかのようで、息苦しい気さえした。
そんな空気の中、社長が重い口を開いた。
「うちの女房は、阿東くんを生んで、すぐに相手の男と別れたそうだ。それから一度だって会う
ことはなかったらしい。本人の話だと、また、他に男がいたようだったしね。あいつにとって
は、子供などどうでもいい存在だったんだ」
社長の顔が曇る。
そういえば、社長には子供がいないのだろうか?
「阿東くんは、その後父親にも捨てられ、施設で育ったのだそうだよ。ずいぶん苦労して、生き
ていくのに困ったこともあったそうだ。そのとき、見も知らない母のこと、つまりうちの女房を探
してみようと思ったらしいね」
阿東は、まず父親を探し出し、自分は誰の事も恨んでいないということ。病気で先が長くない
ということ。せめて一目でもいいから母親に会いたいのだということを伝えたのだという。
「おやじじゃいけなかったのか?阿東は、おふくろを探さなくても、探し当てたおやじを頼れば
良かっただろ?」
それを社長に問うたところで、知っているのか分からなかったが、社長はきちんと回答を出し
てくれた。
「彼の父という人はね、余命数ヶ月だとかで、病床に伏せていたらしい。とても責める気には
なれなかったとか。これは、あくまでも阿東くんの話だけれどね」
「そんなおやじに対して、嘘をついたわけだ。病気で先が長くないなんて。病人の前で」
阿東の行き場のない怒りは、分かるけれど、病気の嘘を桃子はとても嫌った。本当に病気で
苦しんでいる人に対して、失礼なことだからだ。
桃子は、口をへの字に曲げ、胸の前で腕を組んだ。
「名前は分かっていたし、大きな会社の社長令嬢だということも知っていたという。すぐに調べ
はついたようだったよ。自分を捨てた母親に、何とかすがろうとしていた思いが、いつの間に
か、食い物にしてやろうと企み始めたんじゃないだろうか」
社長は、眩しそうに窓の外に目をやった。
涙ぐんでいるのだろうか。桃子とは一切目を合わそうとしなかった。
「わたしはずっと知らなかったのだよ。彼が、女房が外で作った男の子供だなどということを。
彼女が死んで、初めて知らされたんだ」
社長は、うつむきそうになって、何とかこらえたかのように、口をキュッと真一文字に結んで正
面を見据えた。
「死んだ」
という言葉が、桃子の心に大きくのしかかった。
「もうずいぶん前の話だ。きみは気に病むな」
社長は、桃子の肩を何度か軽く叩いてから、話を続ける。
「葬儀のあと、阿東くんから近づいてきた。本当にあれの息子かどうか分からなかったし、ただ
金欲しさのために嘘をついているのかと思ったものだ。でもね、女房の遺言の中に、彼の名が
あった。そして、自分の息子であることを証明する言葉もあった。あれは、子供に興味がない
といい、忙しさにかまけて、わたしたちの間に子供はできなかったが、本当は子供が好きだっ
たのかもしれない。遺言や残された手紙には、わたしに対するものより、彼に対する記述のほ
うが多かったよ」
寂しいやつだな。
目の前にいるのは、確かに社長だ。
でも、そんな肩書きを取り払ってしまえば、どこにでもいるおじさんと同じなのだ。
人は肩書きの前に、一人の人間である。
偉い人にも、普通の人にも、誰にでも時は同じように流れる。悲しみや痛みも感じる。そんなこ
とをいまさらながら考えた瞬間だった。
-第108話へ続く-
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
2007/12/26(水) 12:00:00|
笑@会社
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