十人十色。人が幸せと感じることは、それぞれに違います。
食の好みも、人の好みも、似てはいてもまったく同じではないでしょう。
人生は、だから、面白いのであり、同じ人ばかりではつまらないはず。
社長・桃子・メタボ男。それぞれまったく違うキャラだからこそ、話の展開が期待でき、
未来を見ることができるというもの。
皆に明るい未来を…と思っているのですが、そうではない第105話です。
第105話男は、西井と名乗った。
海外の営業に従事していて、誰もが言うとおり、昼夜問わず働いてきた。そして、四十半ばに
して、ようやく課長という管理職の冠をもらった。それもつかの間、秘書室から有能な若い女
がやってくるということで、その秘書が、何の手柄もなく、その地位につくことになり、自分は
ただの営業マンに戻ってしまったという話だった。
閑職とは大げさだと、桃子は思った。仕事内容に変わりはないだろうに。
「わたしは、何を一生懸命やっても、いつも空回りでした。妻もそれを知っていて、わたしに期
待などしていませんでした。ところが、課長になったとき、妻は、いままで生きてきた中で一番
嬉しい出来事だと、わたしの出世を喜んでくれたのです。その日から、まだ一ヶ月だというのに」
西井の声は、暗く沈む。
「その秘書室から来る方は、どれだけ有能なのですか。勝負させてもらえませんか」
社長に向かって頭を下げた。
「勝負?そんなことする必要はない」
社長は、軽く笑った。
「きみが優秀か、福井さんが優秀か、勝負と銘打って周囲に判断させるのはとても危険なこと
だ。それに」
社長は、少しいらいらした様子だった。
「そういう判断の仕方をするなら、きみは確実に負けると思うけどね」
社長は、樹里の有能さを知っている。
何年も営業畑でやってきた自分よりも、秀でていると言い切られると、西井は自信をなくした。
それより、これ以上社長に食いつけば、閑職に追いやられる以上の仕打ちが待っているという
ことを理解したのかもしれなかった。
「もういいか?」
西井の顔を覗き込む社長の目は、穏やかなものに変わっていた。
彼はゆっくりと頷くだけだった。
大きな動物に噛み付かれた犬のようになっていた。シュンとした姿。無言で席を立つ。自分で
もどのように歩いているのか、わかっていないのだと思う。時折、テーブルや椅子にぶつかり
ながら、歩いている。
桃子は目で追った。
自分のテーブルへたどり着き、荷物をまとめている。
目が合った。
西井は、桃子たちのテーブルのほうへ丁寧にお辞儀をする。
「あいつ、死ぬかもしれないな」
社長がボソボソと隣でつぶやいた。
桃子は、もうこの仕事を辞めてしまおうと考えていた。
誰かを蹴落としてまで、自分が這い上がる。
どちらが優秀なのか、優劣をつける。
そんなことは真っ平だった。
あたしには、やっぱり警備員のほうが合っているのさ。
退屈だろうが、誰とも争いはなく、仲間を大切にし、ミスはカバーしあう。仕事的に、誰かを蹴
落とすこともない。
それは、一部の人から見ると、自分を向上させないことにつながり、楽しくない人生かもしれ
ない。ただ、桃子には、大切な仲間がいるほうが楽しい人生なのだ。
「あいつ、死ぬぞ」
社長のこの言葉が、二回目だったことを桃子は知らない。
考え事をしていて、社長の言葉など頭に入ってこなかったのだ。
「死ぬ」
その言葉が、妙に大きく聞こえて、桃子は目を見開いて社長を見た。
「どうして分かるんだ?それに、そう思うなら止めるべきじゃないか?」
非難するような口ぶりに、社長は驚きもしない。顔色一つ変えず、背中を向けて歩いていく西
井の後姿に見入っている。
社長は、深くため息をついて立ち上がる。
「本人が、そう思った時点で手遅れなんだ。あとは周りの気持ちとは関係なく、物事は進んで
行く」
上着を着て、ズボンの皺が寄った部分を治す。
「来るんだ」
桃子の腕をつかんで、立ち上がらせる。その手は、冷たく力強かった。年を重ねても、体力が
衰えていないことを見せ付けられた。いまさらながら、怖くなってきていた。
何か、悪いものに支配されてしまっているのではないか。本当は、会社を乗っ取ろうと企んで
いる阿東や有砂のほうが正しいのではないだろうか。
いったん、そう考えると、思考はなかなか逆方向へ向かない。
桃子の足取りは、とたんに遅くなった。
「悪魔にとりつかれた。悪魔が…悪魔に連れて行かれる」
一人ぶつぶつとつぶやきながら、それでも職務は全うしようと、社長の後ろを歩くのだった。
-第106話へ続く-
テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学
2007/12/20(木) 12:00:00|
笑@会社
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