青っ白い顔して、風に吹き飛ばされそうなあんたたちに、
社長が守れるかい?
花木桃子、33歳にして人生の春を迎えるところ。
大きな会社に勤務するどころか、その会社の社長秘書に抜擢。
でも、その理由って?
力任せが得意な桃子にできることはなに?
桃子秘書の物語、始まります。第3話運が悪い。
かなりの狭い空間での密室。社長と男が向き合っている。
桃子は、男の手を掴んだまま、社長と男の間に自分の身を置いた。
男が力いっぱい、手を振った。
火事場のバカ力とはこういうものだ。とでも言いたげに。
その瞬間、肩に痛みが走った。心臓が高鳴る。
「うわぁ」
男が後ずさりして、包丁を落とした。見ると血がついている。
なんだか肩の辺りが温かかった。桃子は、自分の左肩を見た。
薄手のシャツが破け、血が赤くにじんでいる。
そのとき初めて刺されたことに気付いた。
エレベーターの扉が開く。
いつも見ている風景だった。
誰もボタンを押さなかったために、エレベーターはまだ一階にとどまっ
ていたのだ。
男が逃走する。桃子は、必死になっておいかけて、取り押さえた。
この瞬間、彼女は「社長の身を守った人物」になったのだった。
呆然と突っ立っているだけの周囲の人間。
桃子は、男の身体に馬乗りになって、不敵な笑みを浮かべてみた。
病院で手当を受け、ベッドに寝転ぶ。
酷い怪我ではないけれど、「気持ちを落ち着かせるため」と、看護婦が
ベッドまで誘導してくれていた。
寝転んでいるだけなど、桃子にとっては、退屈な時間だった。
腕に痛みはあるけれど、病気ではないし、歩き回れないわけでもない。
「アイツ、かわいそうなヤツだな」
先ほど自分が取り押さえた男の顔を思い出した。
社長。いつもエントランスホールを警備していた桃子は、社長の顔だけ
は良く知っていた。
笑顔はほとんど見たことがないけれど、それほど強面でもない。どちら
かというと、温和に見えるのだが、中身は冷酷なのだろう。
そうでなければ、白旗ほどの会社の社長も務まらないのかもしれない。
ぼんやりと天井を見つめる。
と、社長が現れた。社長の顔を想像していただけに、桃子は驚いた。
「いま、わたしの秘書のポストが空っぽだ。君にその権利を与えたい」
笑顔一つ見せず、それだけ言うと、病室を出て行った。
お付きの女性も、メガネの隅を人差し指で押さえて、軽く会釈をし、社
長の後を追うように病室を出て行く。
桃子は、肩の痛みなどまったく忘れてしまうほど呆然とした。
「社長になる権利を与えたいだって?」
その言い方は何だっていうんだい。
与えられても、嬉しいものと嬉しくないものがあることを分かっていな
いのかい?あたしは、そんな権利欲しいと思っちゃいないさ。
そう毒づいてはみたものの、桃子には分かっていた。
社長の有無を言わさない態度、顔つき、言葉。
桃子に「イエス」や「ノー」を発する権利はないのだということを。
そして、社長秘書になるのだということが。
数時間後、ウトウトしている桃子のもとに、秘書室長の阿東が訪ねてき
た。阿東は細身で神経質そうだ。メガネの奥の目は、常に人を疑ってい
るような雰囲気がある。何十年も笑っていないかのような疲れた顔立ち
をしている。
「何の気まぐれか、社長が君を秘書に迎えたいと、本気で思っているらしい」
阿東はそう言って、ベッド脇のテーブルに抱えてきた資料をどっさり置
いた。
「これは、前の優秀な秘書がまとめていた社長資料だ。仕事関係から個
人的なことまで、全てが詳細にしるしてある。目を通して、全てを把握
するように」
それだけ言うと、背中を向けた。そして、少しだけ首をかしげて、振り
向いた。
「君は、パソコンできるよね」
桃子はとっさに、「はい」と勢いよく答えた。
阿東は、少しだけ安心したような顔で病室を後にした。
「なんだ、あの野郎。偉そうな口ききやがる。パソコンくらい…」
なんてことを言ってしまったのだろう。
桃子は、少し苛立っていた。
正直なところ、パソコンなど触ったことがなかったのだ。
桃子自身もだけれど、周りの人間も、パソコンなどとは縁遠い生活をし
ている。
「ネットなんとか」という言葉は、よく聞いていたが、自分とは関係な
い遠い世界の話にしか思っていなかった。
秘書といえば、始終社長のお供をして外を出歩くものではないのか?
ただ、社長の身を守るだけじゃないのか?
パソコンが何の必要があるというのだ。
連絡だって、携帯電話さえあれば十分だ。
阿東が置いていった資料の束を手に取った。
「仕事」という表紙で、何枚もの紙が綴られていた。
-第4話へ続く-
2007/04/06(金) 12:10:22|
笑@会社
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