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No  811

まるもり 第4章旅立ち-第7話-

まるもり 第4章旅立ち-第7話-

 自分を信じること。自分がとても大きく成長した気分になる。
ただ、信じられる誰かがいないことが気がかりでもあった。
家族さえ信じられないというのは、どうだろう。一番信頼しあわなければならない人を信じられないのなら、赤の他人を信用することは、到底できない。
メグルの心は、ザワザワとしていた。
感情が高ぶって、そこらじゅうのものを投げ散らかしたい衝動に襲われる。
そして、行き着くところは、
「どうして、自分はこんなに不幸なのだろうか」
というところ。

 「あんたも、働くかい?」
ふいに、肩を叩かれ、メグルは身震いをした。
近くに見る大家の顔は、やはり、お化け屋敷から飛び出してきたと言えるような顔をしていた。
一言、意地悪く、
「どこの遊園地ですか?」
と、聞いてみたい衝動に駆られる。
むしゃくしゃした気持ちを晴らすには、いま、他に方法がない。
「働いた分は、ちゃーんと出すよ」
ニンマリとした笑顔が、さらに気味悪さを増す。

「働く」
メグルにとって、嫌いな言葉の一つだ。
働かなくても、お金はあるのだから、なるべくならラクをしたい。
もともと絵を描くのは好きだったし、真樹夫から受け継いだ素質もあった。
だから、デザイナーという道を選んだ。
自由な気がしたというのも理由の一つだ。デスクに束縛されず、自由な発想で、自分の思ったものを作り上げる。
楽しそうだった。
でも、いざ働いてみるとどうだろう。
朝から晩まで、デスクに張り付いている時間が多い。デザインしてはため息をつくことの繰り返し。やる気は、とっくに消えうせていた。
打ち合わせで外へ出る機会もほとんどなく、いつしかメグルは、デザイン部門の雑用係になっていた。
お茶をいれて、給料をもらう。コピーを取って給料をもらう。こんな楽なことはない。メグルは、喜んで雑用をこなしていた。
ときどき頼まれて描くのは、先輩デザイナーたちが下書きに描いた雑な線を、きれいに清書するくらい。
給料は、上がりもしないけど、下がりもしなかった。
それでいいと思っていた。

楽に越したことはない。
そうでしょ?
人生楽して生きていたい。
これが、わたしのモットーだもの。
汗水流して働いて、ちょびっとの給料しかもらえないなんて、ありえない。

メグルは、大家に向かって首を左右に振った。

まるもり 第4章旅立ち 第8話へ続く

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No  810

まるもり 第4章旅立ち-第6話-

まるもり 第4章旅立ち-第6話-

 疲れる。
誰かと、敵対するとか、誰かのことを考えるなんてこと。
メグルはいつだって、愛想笑いでごまかし、負の感情を外に出さずにいた。
いや、それ以前に、負の感情をあまり持つことがなかった。
闘争心も嫌いだった。成績でも、運動でも、誰かと張り合うということが性に合わない。
なんとなく、適当な毎日。だらだらとした日々。面白おかしく笑い続ける。それが一番だ。

 「真樹子さん、帰ろう」
メグルは、一秒でも早く、大家と真樹子を引き離したかった。真樹子が何か、今までとは違う世界に巻き込まれないように。
メグルが勢い良く真樹子の腕をつかんだせいで、テーブルは揺れ、カップの紅茶が波打っている。
「あん、まだこの美味しい紅茶、ご馳走になってないわ」
のんびりと、カップに手を伸ばしている。
なんだか、イライラする。
メグルは、両手の拳を握り締めた。
「まぁまぁ」
大家がメグルの腕に手をかける。
「何を怒っているのか知らないけどね。わたしは、別に怪しいもんじゃないんだよ」
隣人が、口の片端だけを持ち上げて笑う。
それがまた不気味に思えるのだ。

 結局、メグルは真樹子とともに、隣人宅にとどまった。
真樹子一人を残して、飛び出していくのはもううんざりだった。
それに、飛び出したところで、行く場所は限られている。そう、この大家の隣の部屋だけだ。
本当の家にも入れず、柏木にも愛想をつかされた。東湖は一番仲の良い同期だけれど、それは今朝までの話だ。メグルの中では、まだ柏木と東湖の関係を怪しんでいて、気持ちはくすぶっている。
ふと、不安な気持ちが胸をよぎる。
いざというときに、「頼れる」人がいないことに、気付いたのだ。
海斗も隆ちゃんも、優しいけれど、弱くて頼りにはならない。
他の男友達も、自分の弱い部分をさらけ出して、寄りかかるような相手ではない。普段、見せている弱みは、正直なところ、ほとんどが嘘だ。そうやって、嘘を塗り重ねて、守ってもらっていた。
しかし、いざ本当に困ったことになると、人間、そう簡単には人に話せないものだと知った。
特に、身内の恥である。他人に知られたくないという思いが強くなる。
これまでのことを考えると、体中に火がついたかのように、恥ずかしさで熱くなった。

しっかりしなきゃ。
今のところ、頼れる人は誰もいない。
いるとしたら、自分だけだ。

まるもり 第4章旅立ち 第7話へ続く

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No  809

まるもり 第4章旅立ち-第5話-

まるもり 第4章旅立ち-第5話-

 「あぁ、大家さんですよ」
真樹子が隣人に言い、隣人はメグルに向かって、
「そんなんだ。大家なんだ」
と、真樹子が言ったままを繰り返した。
ガックリした。
メグルには、祖父母との思い出がなかった。
真樹夫、真樹子どちらの両親も、メグルが生まれる前か、小さい頃に亡くなっていた。祖父母と仲良くしていたり、長い夏休みなると遠く離れた場所に会いに行く友人を羨ましく思ったものだ。
例え、このシワシワで、正体不明な隣人でも、祖母だとしたら嬉しかったのに。
期待通りでなかったことで、落胆のため息を漏らした。

 「何か、不服かい?」
メグルの顔を覗き込む、隣人。
この一番荘は、古めかしい。部屋は、一階と二階に五部屋ずつしかなく、全部で十室だ。家賃は、いくらなのだろう。一等地ではないし、今にも崩れそうな外壁を持つ建物だ。それほど高額ではないだろう。例えば。
メグルは、頭の中で計算をし始めた。
一ヶ月の家賃が、五万だったとしよう。五万円が十室。全部で五十万円。
いや、間違えた。
メグルは首をブンブンと横に振った。
二○四号室は、大家自身が住んでいるのだ。収入にはならないので、四十五万。
保険やら、税金やら必要経費と、衣食の費用などをあわせても、二十万は残るとしよう。でも、その二十万で、果たしてここまで贅沢な調度品が買えるだろうか。
メグルは、天井を見上げたり、頭をかいたり、首を捻ったり、落ち着かない仕草を見せた。

 くくく。
その笑いは、メグルの両側から聞こえてきた。
隣人改め大家も真樹子も笑っていた。何がおかしいのだろう。自分ひとりが分からないというのは、しゃくだ。
昨晩の真樹子の泥酔状態を思い出した。
真樹子は一晩、大家と一緒にどこかへ行き、酒を酌み交わした。二人は親交を深めたのだ。
別に、嫉妬しているわけではない。ではないけれど、真樹子は無垢で無知だ。何か大変なことに巻き込まれ、引き返せなくなったら大変なことになる。
 この時点で、メグルの中で、少しずつ何かが変わっていた。
誰も彼もに愛想を振りまくのではなく、人をよく観察するということ。どんな人間であるか、見極めること。一般的な視点から見れば、まだまだ同い年の人たちが考えているところには達成しないが、それでも、メグルにとっては大きな進歩だ。真樹子が頼りないからというのが理由にしても、喜ばしい成長の様子が伺える。

 真樹子さんを、守らなきゃ。
メグルは、目に力を入れて、大家を睨む。

まるもり 第4章旅立ち 第6話へ続く

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No  806

まるもり 第4章旅立ち-第4話-

まるもり 第4章旅立ち-第4話-

 ズズズゥ。
耳障りな音。
真樹子は、苦笑いをしている。
変だ。
食事のときのマナーには人一倍厳しい真樹子が、紅茶をずるずるとすするように飲む隣人に愛想笑いをしている。
普段は怒るということを知らないかのような真樹子だが、テーブルマナーをこなせない時の怒りは強烈なものがあるというのに。

 メグルは部屋の中に視線を走らせる。
あの鏡台、どこかのオークション会場で見たことあるわ。確か、数千万円の値がつけられていたはず。
あの陶磁器は、国の無形文化財に認定されている嘉禄の作品だわ。
何なの、この部屋。お宝だらけじゃない?
「こら、娘」
メグルの視線に気付いたのか、隣人が吠える。
「人の家にきて、モノを物色するんじゃないよ」
隣人は、最後の一口を特に大きな音ですすって、テーブルにカップを置いた。乱暴な扱いをされたカップは、ぐわんぐわんと音を立ててテーブルの上で揺れる。

 「お前さんは、目が肥えとるな」
隣人は、目を細めて、メグルを見る。
「お前たち二人は、大切にしてくれた男を裏切りでもしたのかい?こんなところに追いやられるなんてなぁ」
真樹子がまた泣き出すのではないかと、メグルは自分の左手に座る真樹子の横顔をちらりと見やった。
しかし、彼女は、先日までと違い、目に力を込めて泣きはしなかった。
何かが起こって、彼女を少しだけ強くしたのだろうか。それは、昨日の飲酒と、何か関係があるのだろうか。
「あんたたちも、こういったものに囲まれて暮らしてきたんだろう?値打ちが分かる人が、ご近所さんになるとはね。少しばかり、嬉しいさ」
隣人は、そう言ってまた目を細めた。

 メグルは、隣人に名前を聞かれ、答えた。確か、一番最初にここへ来たときにも、
「名を名乗れ」と言われ、もう伝えてあるはずだったが、忘れてしまったのだろう。老人は、何度も同じことを聞く。それくらいメグルも分かっている。だから、何度も同じことを言ってあげる。
そうして「あげている」という行為が、なぜか、メグルの中の優越感を増大させる。
「メグルか」
隣人は、小さくそうつぶやいてから、右手を差し出して言った。
「これから、宜しくなぁ、メグル。あたしは……。なんつったっけ?真樹子?」

まるで、真樹子はこの人の子供であるかのように親しみを込めて名前を呼ばれている。
「真樹子」と呼び捨てにされても、真樹子は不思議な顔一つしなかった。

まさか、わたしの「おばあちゃん」なんて言い出さないよね?

自分が生まれる前に死んだと聞かされた祖母の顔を、メグルは知らない。
まさか、生きていた?
もう一度、隣人の顔をしげしげと見つめたのだった。

まるもり 第4章旅立ち 第5話へ続く

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No  805

まるもり 第4章旅立ち-第3話-

まるもり 第4章旅立ち-第3話-

 イノシシが目的物に向かって突進していくかのように、メグルはアパートの部屋の中へ入っていった。
「起きてぇ」
力いっぱいの声で叫ぶ。
寝ていた酔っ払い二人が、飛び起きた。
「真樹子さん」
メグルが指をさすと、真樹子は、つい先ほどまで寝ていたとは感じさせないほど大きな声で、返事をした。
「はいっ」
それは、いままで一緒に暮らしてきて初めて、と言っていいほど大きな声だった。
そして、メグルは、もう一人のほうに向き直り、叫ぶ。
「隣人」
一度はビクッとして、隣人は目を丸くする。
「真樹子さんにへんなことしたら、ただじゃ済まないんだから……ね」
格好良く決めるつもりが、最後に、「いい人」を失いたくなかったのか、自然と口調は柔らかくなり、笑顔まででる始末だった。

 真樹子が台所に立っている。
しかも、ここは隣人の部屋。
メグルと真樹子は、二人揃って、招待されていた。
隣人が、メグルの粋のよさに驚き、そして、気をよくしたのだった。
「あんたたち二人は、お互いを思いやっているんだねぇ」
古く汚い部屋には似つかわしくない、アンティークの美しいティーカップに紅茶が注がれている。
「これうちにもあるわ」
懐かしい。
真樹子は、カップを持ち上げて、くるくると目の前で一周させる。
そして、くるくると周る絵柄を見て、
「うっぷ」
と、気持ち悪そうな顔をする。
まだ酔いから覚めていないようだ。

 気味が悪い。
ボロボロで、地震がきたら一発でつぶれてしまうようなアパートに住んでいるくせに、調度品などは高級なものが目立つ。
そのくせ、着ているものは、粗末に見える。
人によって、お金をかける部分はそれぞれ違う。
見た目にお金をかける人、食べ物にお金をかける人、好きなものを集めるために散財する人。
メグルは、そのどれにも当てはまる。けれど、お金があるからそうできる、恵まれた環境にいるということを理解していない。
だから、みすぼらしい姿のわりに、素敵なものを持っているこの隣人を胡散臭いと思うのも無理ないことだった。

まるもり 第4章旅立ち 第4話へ続く

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No  803

まるもり 第4章旅立ち-第2話-

まるもり 第4章旅立ち-第2話-

 部屋に入ると、真樹子は声高らかにいびきをかいて寝ていた。
そして、それに添い寝をする人物一人。
うつぶせ気味になっているその人を、メグルは勢い良く表にひっくり返す。
「やっぱり」
その顔は、酒を呑みすぎたせいか、だいぶむくんでいて、雰囲気が違ったが、紛れもなく隣人だった。
「このおばさん、どうしてこの部屋に入れたのかしら」
すっかり自分の自宅のように、このアパートの玄関もオートロックだと思い込んでいる。だから、鍵も持たない隣人が、勝手に侵入できることが不思議で仕方なかった。

 もしかして、このアパート。
メグルは急ぎ足で外に出た。そして、鍵穴をそっと覗く。
腰をかがめたまま二○四号室へ移動し、同じように鍵穴を覗く。
同じ穴のように見える。
ただそれだけで、このアパート全部の部屋が、同じ鍵で開くものだと思い込んでしまった。鍵穴など、奥のほうはどうなっているか分からないというのに。

 わたしは、悪いワナにはめられている。真樹夫さんは、鬼だわ。鬼以外にありえない。どんな人が住んでいるかも分からない、誰でも自由に出入りできるアパートに追いやって、わたしたちが変な人にいじめられるのを楽しんでいるんだわ。

ホロホロと涙がこぼれ落ちる。

分かった。
きっと、柏木さんも真樹夫さんに何か言われたのよ。急に別れようなんて言うの、ありえないじゃない?本当はわたしのこと好きなくせに、真樹夫さんの命令に従ったんだわ。そう、お金をたくさんもらったのかもしれない。
会社だってそうだ。世界的に有名な真樹夫さんの言うことなら、会社の社長だって言いなりになるだろう。きっと、わたしが困ることになるように、仕向けたんだわ。

許さない。

いつの間にか、メグルの心の中は、真樹夫への憎しみでいっぱいになっていた。いま起こっているすべての悪いことは、真樹夫が仕組んだこと。

あの人は、わたしたちが、不幸になればいいと思っている。
許さない。

メグルは、ギュッと目をかたく瞑った。
そして、目の中に溜まっていた涙を一度、全部搾り出した。
「もう、泣かない」
何とかして、真樹夫のご機嫌を取ろうとしていたメグルは、もう過去の人となっていた。

まるもり 第4章旅立ち 第3話へ続く

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No  802

まるもり 第4章旅立ち-第1話-

まるもり 第4章旅立ち-第1話-

 「何よ、あの男」
柏木に腹を立てながらも、
「海斗のほうがマシかも」
などと、他の男のことを考えるあたり、自分を好きでいてくれる人材が豊富で、心に余裕がある。
「それか、隆ちゃん。うん……。隆ちゃんは、ちょっと年が上過ぎるかな。それにお金が心配だし」
今年三十八歳を迎える隆ちゃんは、三川隆三という舞台役者だ。将来があるかどうか、四十近くになっても芽はまだ出ていない。
「はぁぁ、ろくな人がいないなぁ」
タクシーの後部座席で、ぶつぶつと不平をぶちまける。

タクシーの運転手は、メグルのつぶやきに苦笑いし、まだ暗い闇夜に向かって、大きな口を開けてあくびを繰り返した。
「うわ、最悪」
メグルは、小声でつぶやいた。
斜め後ろの座席から、運転手がカバのように大きく口を開けたのを見たことに対する小言である。
視線を落とし、自分の手元を眺めながら、ありったけの嫌そうな顔をしてみせた。

 一番荘の最寄り駅まで、タクシーはスムーズだった。
運転手にお金を渡す。お釣りをガチャガチャと取り出しているのを見ると、メグルは面倒な気持ちになってくる。そこで、いつも言ってしまう一言。
「あ、お釣りけっこうです」
ニヤッとして、お礼を言うドライバー。
「お金を大切にしなさい」と、説教を始めるドライバー。
怒ったように、釣り銭を手渡してくるドライバー。
様々である。
今回のドライバーは、説教タイプだったが、
「若いキレイなお嬢さんから、余計なお金はもらえないよ」
という優しい言葉で片付けられた。

 正直どちらでもよかった。もともと財布の中身を計算する趣味はない。なければ、銀行からいくらでも湧き出てくると思っている。お金がないという状況が、メグルには分からないのだ。
一番荘の目の前までタクシーをつけるのはやめた。あまりにも惨めだ。例え二度と会うことのない運転手であっても、このボロアパートに、四本メグルが住んでいるということを知られたくなかった。どうせ、タクシーの運転手は、メグルのことを知らないだろうけど……。

まるもり 第4章旅立ち 第2話へ続く


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